さとなおさんの記事高城剛さんの記事を読んで、すごく共感した。

新型インフルエンザを警戒することは確かに大事なことだとは思うんだけど、

オイルショック時みたいな、マスクがどこに行っても売り切れ状態っていうのはちょっとどうかと思う。

ここで問題なのは、さとなおさんの記事からもわかるとおり、マスクがあまり予防効果がないということが公表されているにもかかわらず、

みんながこぞってマスクを買いに奔走するという現象が起きているということだ。

そういう人たちに、「なんでマスクを買うの?」って聞いてみたら良いと思う。

おそらく全員が、「新型インフルエンザの予防ため」と答えるだろう。

次に、「新型インフルエンザの予防にはマスクした方が良いんだ?」と聞いてみる。

すると、「そうだよ。テレビで報道してたじゃん。現にみんなマスクしてたし。」と返ってくる。

そして最終的には、「なるほど〜。確かにテレビでも言ってて、みんながマスクしてるなら絶対した方が良いね!ありがとう!」となる。

実際には、公衆衛生の専門家の間では『健康な人の予防効果は期待できない』のが常識なのに、である。

これはちょっと問題だと思う。

何が問題かって、これまたさとなおさんもおっしゃっているけれど、

実際は罹患前のマスク着用には予防効果がないのに、健康な人たちがマスクを買い占めることによって、

実際に病気に感染している人たちなど、本当にマスクが必要な人たちに行き渡らなくなることが問題なのだ。

もちろん、過熱報道や一般人のメディアリテラシーの低さも問題だけど、そこには今回はあえて触れないとく。

さらに、下記の高城さんの記事にもある通り、

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国際空港ターミナルで、日本人だけマスクマン。
その光景は、国際道徳に反するなどではなく、滑稽だ。
礼儀的にもマスクはとった方がいい。
つけてる人が患者のようで、周囲に不安を捲いているのを気がつかないのだろうか?
どこかの国の隣のお婆さんが、怖がってますよ。
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健康な人が予防のためにマスクを付けることで、感染した人だと勘違いさせて、周りの人たちを不安がらせてしまうのも問題だ。

これは僕も新型インフルエンザが流行るずっと昔から、すごく感じていたことである。

病人なのかそうでないのか、ちょっと見ただけではわからない、というのはすごく不安な気持ちにさせる。

これぞ「もはや自分だけ良ければ、最悪周りが多少の被害を被っても関係ない」っていう、窮地に立たされたときに現れる人間のエゴな部分だ。

得体の知れない新型インフルエンザを警戒するのは大事なことだし、別に良い。

けれど、それによって民衆が勝手にパニックになって、他人に迷惑かけちゃうのはダメでしょ。

たくさんの人がマスクしてる画を見せれば、状況を伝えやすいっていうのは完全なメディア側のエゴだし、

それに翻弄されて、健康な人が大量にマスクを買い占めたり、実際に予防のためにマスクをして街を歩くことは人間のエゴである。

メディアは、表面上の事実に囚われ過ぎることなく物事の本質をついた、より信憑性の高い真実を正確に伝えなければ意味がないし、

まだ健康な人は、感染した時に備えて少量のマスクを備蓄して、(他の最善策が出て来たら別だけど)今は手洗い・うがいをしっかりしてれば良い。

もしマスクだけして、手洗い・うがいをしてない人がいたら、まさに愚の骨頂ですね。

これを機に、インフルエンザの感染予防のためのマスク着用について考え直してみていただけたら幸いです。

言っても、僕らが絶対に正しいというわけではないかもしれないので、考え直した結果のまた違う角度からの意見も聞いてみたいところ。

現段階の僕自身の見解としては、予防のための意味のないマスク着用は不安を煽り混乱を招くだけなのでやめた方が良いと思うって感じです。

もし、それでもなお、予防のためにマスクをして外出したいんだ!っていう人がいたら、せめてマスクにこう書いて外出してください。


for prevention.(予防のため)と。


この小さな気遣いが、コミュニケーションデザインで大事なことなんじゃないかなと思います。

「仕組みではなく、気持ちをデザインする。」

ここから発展していって、そういう心配性な人たちのためにそのうち本当に予防用マスクが売り出されたりしたら、それはそれでまた面白いのにな。

ひょっとしたら、予防用マスクっていう新たなマスク市場を創り出せるかもしれないし。(それはちょっと言い過ぎか。)


ちなみに、少し話は変わりますが、前述した高城さんの記事を内外タイムスというサイトではこういう批判をしています。

一方で、同じような発言を石原都知事がした時には、こういう記事になっていた。

両者ともに言ってることは「騒ぎ過ぎでしょ」ってことでほとんど一緒なのに、

高城氏の書き込みは、「マスクで感染予防しようとする人々の神経を逆なでする“KY”ぶり」とし、

一方の石原都知事の発言は、「薬局でマスク争奪戦が繰り広げられる中、クールダウンを呼ぶ“ワクチン”」と表現している。

ホントいい加減だな。笑

やはり、これからのメディアは信頼性が最も重要になってくると思われる。

メディアとしての責任感が欠如していて、信頼性が低いメディアは自然と淘汰されていくだろう(というか絶対淘汰されてほしい・・・)。

情報過多のこんな時代だからこそ、メディアの信頼性を上げていく。

それによって、メディアというものは必要不可欠なもので在り続けることが出来ると思う。

ここら辺は広告会社もお手伝いできるところだと思うので、頑張りたいですね。

ポチッとな

ー事実ではなく、真実を知るー