自分=他人思考。


相手の立場に立って考える。


これがいかに大切かわかっている人は少ない。

いや、わかっていても実際にそれが出来ている人がなかなかいないと言った方が適切だろうか。

相手の立場に立って考えているつもりでも、いつの間にか自分本位の考え方になっているということがよくある。

「なんで自分のことをわかってくれないのか?なんでメールをしたのに連絡して来ないのだろうか?シカトか?ホントあの人ダメだな。あ〜ヤダ。」

などと考える人で世の中が溢れていることはおそらく説明不要だろう。

この時に本当に相手の立場で考えることが出来ていれば、もう少しまともな仮説を立てて考えることが出来るはずなのに。

もし仮に彼氏の浮気が原因でケンカしたカップルがいて、その直後に彼氏が彼女にメールをした時であれば返信が無かった場合、「シカトされているかもしれない」という仮説は有力だろう。

しかし、必ずしもそういった仮説が有力であるという訳ではない場合が多い。

例えば、前述のメールが返ってこない例を明らかに忙しそうなビジネスマンに当てはめてみよう。

相手の立場に立って考えた時、相手が忙しくて忘れているのかもしれないと考えることが出来れば、その仮説をもとにリマインドメールを送るなり出来るはずである。

あるいは、その人にとってまだまだ自分がその人から積極的に連絡を取ってもらえる程、認められてないかもしれないという仮説を立てられたのならば、

まずその人に自分が認められるように何か策を講じるという結論に至るかもしれない。

他人のせいにしてしまったら、そこで思考は停止して終わりである。

そこで思考を停止してしまうぐらいなら、少しぐらい相手の立場に立って考えるということをしてみてもいいのではないだろうか。

世の中は発展し便利になって、メール自体はとても早く届くけど、逆に情報過多で埋もれてしまい、メッセージはなかなか届かないものである。

伝えるとはなんだろう。メールを送ったことで本当に伝えたと言えるのだろうか。昔は伝えるって、もっと深いような気がした。

上記はたまたまメールを例に出してみたが、相手の立場に立って考えることが大切であるということは、それ以外のことにも十分言えるだろう。

他人を自分のことのように考えられる人ばかりであったら、世の中はきっと戦争など起きないのだろうに。

ポッチとな

ー自分を知ってもらいたいなら、まず相手を知れー