世界の終わり。
僕が生きるこの世界に終わりはあるのだろうか。
全体集合的に見たら世界の終わりとは環境問題や核兵器問題などで起こりうる人類滅亡のことを指すのかもしれない。
しかし、人類滅亡やらなんやらは、僕には極めてしっくりこない。
大半の人がそうだと思うが、
僕は明日人類が滅亡しますと宣告されるより、明日恋人が死にますと宣告される方がずっと悲しみを帯びると思う。
どちらにしろ人類が滅亡したら恋人だって死んでしまうのに、である。
それは、現実的で身近であるという親和性が僕を悲しませるのか、
それとも人類滅亡により自分だけが取り残される訳ではないという、ある種特異な安心感から恋人の死の方が重いのだろうか。
いずれにせよ、恋人の死のみに依存して悲しみというものが創発される訳ではないのだろう。
その他の要素は、きっと人間のエゴイスティックな部分に答えが隠されているのかもしれない。
人は得てして、とてもエゴイスティックで寂しがり屋な生き物なのだろう。