君と僕。
ある人間が、ある他の人間について十全に理解することは果たして可能なのだろうか。
人は長い間、交流というものを重ねて相手を知るために努力するが、
いったいそれはどのくらい本質に迫れるものなのか。
我々がよく知っていると思い込んでる人間の、本当に大事な部分を掴んでいるのだろうか。
所詮、僕は僕で僕の誰以外も僕のことを知り得ないし、
君はやっぱり君で君の誰以外も君のことを知ることは出来ないのだ。
それでも人は相手を理解しようとし、苦悩するのだと思う。
心理学者だって人の心なんて読めやしない。
ならば過不足なく理解することよりも、相手を理解しようと心を傾けるその姿勢が大事なのではないだろうか。
僕は僕で君は君で他の誰のものでもない。
僕は僕で君は君で他の誰にもなれない。
なのになぜ人のために優しくできるのだろう。
理屈じゃない何かが、僕を突き動かしている。