生と静。
例えば、
人を殺す行為も、写真を撮る行為も、それほど変わらないことのように感じる。
両方とも、動的なものを静的なものに変えようとする行為
という考え方においては、同一のものである。
人は、
動いている人を止めるために人を殺し、
動いている日常を切り取って残すために写真を撮る。
これらは実に、表裏一体の関係であるように感じる。
1歩間違えたら、なんて事ない行為が
とんでもない行為へと変貌を遂げることだってあるのだ。
動的なものから静的なものへ。
この行為が決して何の気なしにやって良い行為ではないということを
我々は考えなければならないのかもしれない。
同時に生きるとはなんなのか、ということも。